2011年10月28日金曜日

ベートーヴェン


昨日、今日と久しぶりにベートーヴェンの第七交響曲とお付き合い。思えば高校生の時はじめてオーケストラの中で弾いてからのなが〜〜いお付き合いだけど、読めば読むほど内容の濃さに驚かされる濃密な作品。巨匠のスコアのチカラに負けない様にがんばろっと。

2011年10月10日月曜日

思い出と明日のために


明日は小山実稚恵さんとのコンサートの為に練習があるので、今一度スコアをチェック。
チャイコフスキーの協奏曲もラフマニノフの協奏曲の第二番もグリンカも何回も演奏してきたレパートリーだけど、今一度丁寧にページをめくります。
音楽は聴く人にとっても演奏する人にとっても、聞き返す、読み返すことによってその曲への感情とか、思い出が浮かび上がってくる二次的な体験があります。
私にとってはスコアをめくる作業は、過去に演奏されていた舞台を思い出すことでもあるのです。演奏して居たピアニストのこととか(良く指先を思い出す)、ステージの照明の感じ、お客さんの反応とかめくるページによってはもの凄く鮮明な感覚が蘇ってきます。
さあ、明日の小山さんとの練習が楽しみです!

2011年10月8日土曜日

マーラー「復活」


夜中の3時頃に喉の激痛で目がさめた!初めての経験。おもえば名古屋からずっとこの痛みがくすぶっていた様な気がします。生姜湯飲んだり、プロポリスや喉の消炎剤ぶちまけて、少たし痛みを治めて寝ました。んでまた起きてみたら声が出ない。生姜の絞り汁+シークワーサー+蜂蜜+プロポリスのお湯割りという特製ドリンクを作って飲んだら、なんとか声が出る様になりました。
でも異様に低い声。試しに最低音が何処まで出せるのか試してみたら、ヘ音記号で下線が四つ附いたFの音まで出ることが判明。今までの人生で生声の最低音。今ならマーラーの「復活」の合唱の出だしのバスパートが楽々歌えるにちがいない!録音して、シーケンサーに入れられる様にしておこうかな、、。

2011年10月7日金曜日

指揮者にとってのスコア


拙宅の書架にはスコアが溢れています。そのなかにはおおよそ一生のウチに演奏することがないであろう、スコアも多いのです。その中の一群には学生時代に東欧諸国で買い集めたスコア達がります。冷戦時代の東欧諸国のスコアの出版はナショナリズムを反映されていて、それぞれの国のお国物、たとえばチェコならドヴォルザーク、ハンガリーならバルトーク、リストといった作曲家の気合いが入った校訂をしたスコアが出版されていました。おおむね西側のお金に換算すると安いので、旅行で行った先々で買い集めたりしたものです。とある作曲家のある作品を演奏する為には、同じ作曲家によるなるべく多くの作品を知る必要があり、その上でもスコアを買い集めてあったのです。今ではIMSLPなんていう便利なサイトもありますが・・。
 ところでこの東欧の出版物、いざ演奏に使おうとすると紙の質が悪い(すぐボロボロになる)製本が劣悪(すぐバラバラになる)印刷が粗雑(インクの薄いページがある)裁断がしっかりしていない(違うページ同士が切り離されていない)、などという共通した特徴(??)があり、そのまま指揮につかおうものならすぐ、満身創痍になってしまいます。
 とはいえ、おおよそ演奏する事がないだろうと思っていた曲が、書架から引っ張りだされて初めて演奏される機会を持つ、というのはなかなか感動的なこと。
 ドヴォルザークは私のお気に入りの作曲家の一人。日本ではほんの一部の曲しか演奏されていないけれど、演奏の機会の持てない名曲が多いのです。もっと書架に埋もれている曲で演奏したい曲は沢山あります。この実直な第五交響曲。木訥な書法をどのようにきらびやかに演奏するか、思案しています。

2011年10月5日水曜日

天国と地獄


 オッフェンバックの代表作として名前は知られているけれど、案外カンカン踊りくらいしか一般的に知られていないであろう、この「天国の地獄」というオペレッタ。
 今回の名古屋二期会での上演は、私にとっては未知の四幕版での上演だったので、スコアを入手するとともに興味津々で譜読み。グランドオペラとオペラコミックの違いは分かって頭では居たはずだったけれど、二幕版から四幕版へのトランスフォームが、グランドオペラ化への補筆の賜物であって、スタイルの違いを教えてくれました。
 ひとつ今まで誤解していたのは、個人的に音楽史上のメロディーメーカーチャンピオンはヨハン・シュトラウスII世だと思っていたのですが、今回理解したのはシュトラウスはどう考えてもオペレッタを書くにあたり、オッフェンバックの音楽を精査していたであろうということ。このオペレッタ「ギャロップ」など、シュトラウスのバッチをつけて、ポルカ・シュネルと名付ければそのまま信じてしまうのではないでしょうか?
 「天国と地獄」のもう一つ音楽的に面白いところは、グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」を徹底的にこき下ろし、また社会的な風刺も含まれているということ。
 過去の音楽が19世紀的な価値観の中でどの様に捕らえられていたかという、一つの視線を教えてくれます。歌劇の中では「純音楽」以上に時代が息づいて居る様な気がします。
 作品の中に並べられたナンバーを、当時のパリの観客がどのような音楽を期待していたのか、何を見たかったのかということを如実に物語っています。
 特に日本では先入観でかる〜〜く見られているこのオペレッタ、天才の余りある生気が溢れています。判っている人には判るんだろうけれど、このタイトルを眉をしかめて聞いちゃう人もいるのはちょっと残念に思います。
 それにしても今回のプロダクション、たかべしげこさんの演出もぴりっとスパイスが聞いていて面白いし、出演者全員のやるきが感じられてとても良い「気」がみなぎっていました。
 舞台袖でみんながもうワクワクしているのがわかるんです。
 ブッファをやるときはセリアをやるとき以上に神経を使います。人を笑わせることの方が人に涙ぐんで貰う事より難しいとおもうのです。台詞から音楽に移るタイミング、そして各ナンバー間のバランスなど、微妙なさじ加減も大切。
 それにしても装置と衣装には感動したなあ。絶対観客席から見えていないだろうな〜〜?というところまで造り込まれていて、照明も含めて細かいところでプロの技が光っていました。
 最後になりましたが、オーケストラの皆さん、ほんとーに助けていただきましてありがとうございました!努めてカリカリの音楽を作ったのですが、皆さんの歯切れのよい演奏無くしてはこのプロダクションは無かったと思うのです。素晴らしかったです!!!m(__)m

 さてさて、今日から改めてこの先の作品を読み始めます。