2010年10月31日日曜日

シンフォニスト達


 近々マーラー、ブラームス、シベリウスなどのシンフォニスト達の交響曲を演奏する機会に恵まれていますが、それぞれの書法の比較はとても面白い。
 ブラームスもマーラーも現場の体験に基づき交響曲に校正を加えていった、作曲家達なのですが、「指揮者に命ず!!」見たいな強い感じで随所に注釈を書き込んで行った(疑心暗鬼な?)マーラーと、良くスコアを読み込んでゆくと必要な場所にはかならず、控えめな感じで注釈がある(音楽家に音楽を託す?)ブラームス。
 どちらが良いかという問題はあるけれど、マーラーの場合は注釈が多すぎる故に、それに逆にに惑わされずに、たとえ注釈が無かったとしてもその様に演奏されるように、本質を見極めてゆかなければならない。ブラームスの場合は注釈には必ず理由があるので、なぜか?を常に考える。
 作曲された時代とは違い、今日では贅沢にもこんな比較が出来る。残された巨匠の作品とその意図を丁寧に読み取る。色々な雑念や固定観念は払い去ろう。

2010年10月25日月曜日

サン=サーンス


来月の中頃にブカレストの「ジョルジュ・エネスコ」フィルに客演します。
春先に火山の噴火で文字通り吹き飛んじゃったコンサートのリカバー。
オール サン=サーンスプログラム。
昨日も指揮しましたが、サン=サーンスってもっと評価されても良い作曲家だと思うのです。
やっぱりコンクールって場面ではバリバリ系のロシアのピアノ協奏曲にはかなわないのかもしれませんが、純粋に曲として、ピアノ協奏曲はあの粋な感じが大好き。
糸杉と月桂樹。レクイエム、交響曲第三番。
きっとレクイエムは一生のうち最初で最後の演奏機会になるんだろうな〜〜。
コンサートまで三週間くらい。久々にスコアを引っ張り出してレパートリーの「埃取り」開始です。

2010年10月22日金曜日

第九、、


第九の練習が始まるころは夜が長くなり始める頃、、。
一年の終わりを意識し始めます。
日本で第九が鳴門で初演された時のドイツ人俘虜達は、こんなに日本で第九が演奏されるとは夢にも思わなかったのでしょう。
一時期は第九を指揮しすぎたので「第九麻痺」になってしまった事も有るくらい、、。
しかし近年演奏すればするほど、第九は私に取ってその価値を深めてくれるような気がします。
第九の有るべき演奏の姿については、もう日本ではありとあらゆる文献が出ていて、それこそ日本語以外の文献も読みあさったけど、メトロノームやテンポがどうこうより、この作品が持って居る和声の力や哲学的な意図、形式美、そしてなによりもメッセージがきちんと伝わる演奏というのが大事にされなくてはいけないのではないか?という風に考えています。
ベートヴェンは理念的なモットーを大切にした人。
20年以上も心の中に暖めた上で作曲を始めたシラーのモットーが生きるように。

2010年10月21日木曜日

コンクール


 ピアノコンクールでの指揮はこれで5回目。ブカレストの「ジョルジュ・エネスク」国際コンクールを始め、シチリア島、大分・・・それぞれに思い出が残っています。
 毎回腐心しているのは、なるべく参加者が弾きやすい様に指揮をすること・・・
 それにしてもこの様なコンクールは、参加者のフレッシュなインスピレーションと個性の違い、オーケストラの真摯な演奏とリアクションは本当に勉強になるし、良い刺激になります。
この日曜日に向けて、何度もやっている曲なのにもう一度、二度スコアを開いては思いを巡らせています。


2010年10月20日水曜日

沖縄にて



 この日曜日に沖縄交響楽団とコンサートが有りました。
 思えば1997年からのお付き合い。
 結構メンバーも替わったけれど、昔からなじみのメンバーの皆さんも沢山いて、会えると嬉しいのです。
 曲も今回初めて指揮をするグラズノフを除けばとても愛着のある曲ばかり。
 リムスキー・コルサコフは「!」という瞬間が有ったような気がします。
 音楽にしても、オーケストラとのお付き合いにしても、短い間に一期一会とばかり集中して出来る音楽もステキだけれど、長い期間をかけて深まる物はもっとステキ。
 「馴れれば腐る、深まれば穣る」
この言葉を大切に、、、


2010年10月19日火曜日

これからは出来れば週刊で、

今、使っている形式のweb-siteにあわせて、こちらのブログも使う事にしました。
初投稿