2013年3月11日月曜日

あれから

あれから2年。異国の地で震災を知ったことと、それから帰国する迄の焦燥感、そして帰国してからのショックは未だに忘れる事が出来ない。そのキモチを奇しくも先日の東京ニューシティ管弦楽団の定期の場で、ドビュッシーの「海」に寄せた詩の中で覚和歌子サンが詠み上げた。
・・・前略
海は云う:「にんげんは なぜ

わたしからうまれたのだといってきかないのだろう
・・中略・・・・
わたしがにんげんをうんだのなら
あのひ わたしはなぜ
なんぜんにんのいのちをいちどきに
ふたたびじぶんへと 
ひきとらなければならなかったのだろうか」
風は答える:
ほんとうのことはだれもしらない

わかっているのは
あすもおまえはしおからいみずをかぎりなくたたえ
ちきゅうはゆっくりとまわりつづけ
ひとはくらしをつなぐということ・・・・・」後略

あのとき何千人もの悲鳴がいちどに響き、私たちの心にはクサビがささった。
被災地や被災者を思いやる事はもちろん、あの時の起った事自体が、私たちの忘れていたなにかを各々の心に思い出させたにちがいない。
そのキモチを忘れない様に・・答えの出ない問いを追い求めて。

2012年12月18日火曜日

ハムエッグへの愛

人はそれぞれ心の中に自分の理想の目玉焼きを持っている(と私は思っている)。私の場合は、黄身がむき出しではなく少し白い薄皮が張ったやつがよい。毎朝5時に起きて少しスコアに目を通すと朝食を作り始めるのだけれど、周期的にハムエッグが食べたくなる。もうそうなると理想のハムエッグを作るべく、真剣勝負になる。ハムは本当はオーストリア辺りのショルダーハムが良いのだけれど、日本で手にはいるわけもなく、泣く泣く似た様なハムを買ってくる。卵選びも大切。最低限放し飼いの鶏の卵。
 いざフライパンに油を薄く引く。火加減に注意しながらハムを敷いてゆく。かるく片面をあぶったらひっくり返す。肉汁がでて柔らかい絨毯になったハムの上にそっと(あくまでもそっと!である)卵を割り落とす。ここで黄身が破れよう物ならその日一日ブルーである。しばらくして粉雪の様にぱらっと塩を散らす。卵の無い場所を狙って少量の水を注ぎ、蓋をする。これからが火加減と時間の勝負。旨く行けば固すぎもせず、柔らかすぎもしないふわっとしたハムの絨毯に乗ったハムエッグが出来上がる。
 これぞ人生の真剣勝負。オムレツにせよ卵料理は火加減が命。理想のハムエッグを求めて・・さてスコアよまなきゃ。

2012年12月1日土曜日

ベートーヴェン

ベートーヴェンのスコアと対峙すると、その要求の深さとエネルギーに圧倒される。もちろん書かれている「音符」そのものを並べるのはさほど難しい事ではないのかもしれないけれど、「音符」を「音楽」として実現する要求の高さは並外れて高いし、「音楽」を実現すための技術的要求度は非常に高い。
・ベートーヴェンが要求したsub Pの為に16分音符を一つあきらめれば格段に易しくなる。
・ベートーヴェンが要求したsfを一つあきらめれば格段に易しくなる。
・ハーモニーを無視して演奏すれば、格段に易しくなる。etc.etc...
 でも技術の容易さの為に捨てる物があってはベートーヴェンではない。それは演奏の本質を捨てる事ですらある。
 もちろん捨てる事があっても作品時代がものすごい力を持っているから「それなり」に聞かせる事が出来るのだけど。
でもベートーヴェンが要求したすべての事を実現すればそれはものすごい事になる。スコアから読み取る事が出来る要求度は果てしない・・・orz.....

2012年11月21日水曜日

落ち葉〜〜

この季節のジョギングは日々強まってゆく北風に逆らって、走る日々。でも色とりどりの枯葉を踏みしめる音はそれだけで音楽に感じる。紅葉の鮮やかな色のトンネルを抜けながら走ると、それだけでファンタジーが浮かんでくる。さっき迄少し辛かったジョギングは後ろから後押しされる様に、自然とスピードアップ。今朝も木々からインスピレーションを少しもらって、曲を書く為の新たなアイディア発見。

2012年4月21日土曜日

宴のあとの・・

エネスコの第一狂詩曲の最後のA-durの和音が終わった直後に鳴り響く拍手、スタンディングオペレーション!昨夜はブラショフ市と武蔵野市の友好20周年を記念するコンサート。
直前にしゃべったスピーチのせいか、それとも私の曲の最初のところでオーケストラが余りにも良い音を出してくれたせいか、柄にもなくちょっと緊張して始まったこの演奏会。
この20年という年月を振り返る素晴らしい機会になりました。

20年前、日本という国から見ればルーマニアは実際の距離よりも遠い国に感じられたことでしょう。それが当地のオーケストラの来日により、一気にその距離が縮まり、現在まで続くきっかけとなったこと。そして名ばかりの国際交流が多い中、実効的な国際交流を20年間もしかも市と市という関係で続けて来られた両市には驚嘆するばかりです。
振り返ってみれば一瞬の宴かも知れない、でも継続は着実な力になっています。

次の20年もステキな歳月になりますように。

2012年4月20日金曜日

仲間達と

今日はコンサート。20年間のうちにオーケストラの顔ぶれも大分替わりました。でも今回のコンサートには何人かのリタイアしたプレーヤーがエキストラとしてオーケストラに乗っていて、やっぱり20年前から弾いている彼らの顔を見ると安心します。同時に最近ではこのオーケストラでも頻繁には演奏しなくなったエネスコをみっちり仕込みます。若いメンバーのレパートリーとしてキチンと伝統が受け継がれる様に・・

2012年4月19日木曜日

20年後の現実

ルーマニアの革命から20年立った今、ルーマニアはEU加盟を果たしはしたものの・・今朝のニュースでは水道各種料金などはここ10年で7倍になり、給与水準はEUのなかでブルガリアに次いで低く、依然として厳しい状態にあると報道されていました。EU域内格差という物が今のヨーロッパの抱えている最大の問題であり、ユーロ危機の要因の一つになっていることは間違いない事実です。
今から20年前は20年前に抱えていた格差があまりかわらずスライドしてゆくとは誰も思いもしなかったでしょう。
経済的な厳しさとは反面、この国と人にはなにか「先進国」と呼ばれている国が忘れてしまった人情や懐かしさがあります。豊かさと引き替えに無くしたなにかが、、