2013年3月11日月曜日

あれから

あれから2年。異国の地で震災を知ったことと、それから帰国する迄の焦燥感、そして帰国してからのショックは未だに忘れる事が出来ない。そのキモチを奇しくも先日の東京ニューシティ管弦楽団の定期の場で、ドビュッシーの「海」に寄せた詩の中で覚和歌子サンが詠み上げた。
・・・前略
海は云う:「にんげんは なぜ

わたしからうまれたのだといってきかないのだろう
・・中略・・・・
わたしがにんげんをうんだのなら
あのひ わたしはなぜ
なんぜんにんのいのちをいちどきに
ふたたびじぶんへと 
ひきとらなければならなかったのだろうか」
風は答える:
ほんとうのことはだれもしらない

わかっているのは
あすもおまえはしおからいみずをかぎりなくたたえ
ちきゅうはゆっくりとまわりつづけ
ひとはくらしをつなぐということ・・・・・」後略

あのとき何千人もの悲鳴がいちどに響き、私たちの心にはクサビがささった。
被災地や被災者を思いやる事はもちろん、あの時の起った事自体が、私たちの忘れていたなにかを各々の心に思い出させたにちがいない。
そのキモチを忘れない様に・・答えの出ない問いを追い求めて。

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