2012年4月18日水曜日

日本語と国際交流(ルーマニアここ20年)

他の国について理解するという行為は、直接その国を訪れる以外にも、二次的な行為が多い。たとえばその国外国人と知り合う、インターネットを見る、本を読む、勉強する。その国の食べ物を食べる、そして私達音楽家にとってはその国の音楽を演奏する・・日本という国という面から見れば最近では車、電気製品、アニメなどのポップカルチャーを通して日本の存在を意識している外国人も多いのでしょう。でもどれもが偏った理解をもたらします。
 真の国際理解はその国の言葉を話すこと・学ぶことと常々思うのです。
外国語を学ぶと言うことは言葉の意味だけではなく、その言葉の文化的、民族的背景をしらないと理解出来ないことも沢山あります。音楽でさえ、書かれた国の言葉を理解しないとその真の意味が理解出来ないと思うことが頻繁にあります。
 日本を本当に理解して貰うには日本に興味を持った人に日本語を学んで貰う事が一番よいのです。ここ、ブラショフに20年間も日本語交流の草の根活動を市という単位で続けて来られた武蔵野市の活動は本当に驚愕に値します。そしてそのおかげでこの街では日本に対するシンパシーが育っていって居るのです。

20年まえのこと

あれからもう20年・・・・1992年9月ルーマニア・ブラショフ市のフィルハーモニーがルーマニアの交響楽団として初めて日本を訪れました。1989年の革命から2年、1991年に共産党支配の時代に物質的な支えが何も無く、息も絶え絶えだったルーマニアのオーケストラへの援助キャンペーンを支えてくださったのが、地元・武蔵野市でした(当時は土屋正忠市長)。
このことをキッカケにブラショフ市と武蔵野市との市民レヴェルでの交流が始まり、今でもブラショフからの研修生を武蔵野ブラショフ市民の会が中心になって引き受けたり、日本語教師を毎年派遣したり地道な交流事業が続いています。
日本という国の文化を正確に発信するという意味での、日本語学習の海外での展開は本当にすばらしいと思います。
リーマンショック以降、ルーマニアでは芸術団体にとって別の意味で20年前と変わった厳しさがありますが、この様に息長く市民レヴェルの交流が続いたことに感激しています。
今週はこのルーマニア・ブラショフで交流20年を祝うコンサートです。しばらくこのコラムでは日記代わりにルーマニアの話を書いてみたいと思っています。

2012年3月11日日曜日

いちねんまえ

一年前の今日、ルーマニア時間の朝の7時半(日本時間14:30)、私は素晴らしかった前日のルーマニア・ブラショフでのコンサートの余韻を引きずりながらオーケストラの手配した車に乗り込み、いつものようにブカレストに向かった。そして8時半になったころだろうか?(日本時間15:30) いつものように何気なく手元の携帯電話を手に取り、日本の家族に電話をかけようとした。が、何度欠けても出るのは「この回線はただ今非常に混み合っています」というアナウンス。「何かが起きた」。すぐにネットや情報を手に入れることが出来るであろう ブラショフとウィーンの友人に電話をした。この二人の友人から地震があったことを知らされる。ブカレストの空港に着き、チェックインを済ませ、テレビを見ると丁度大津波が押し寄せているライブ映像が流れていた。幸い家族とはなぜかブカレストに居る私経由でネットを使い全て連絡が取れ、ウィーンに向かう。ウィーンのチェックインしたホテルではNHK国際放送の映像を食い入る様に見ていた・・そして翌日、日本向けの飛行機はもしもの場合は仁川、大阪に降りることも示唆しながらウィーンから飛びだった。良く13日発のウィーン発東京行きはキャンセル。13日の朝成田に到着。その日は京成スカイライナーが動いていたことが、ラッキーではあった。空港からそのまま結果的に延期になってしまった練習に向かった・・・・・・
一年前はそれぞれの人がそれぞれのドラマを持って居たのだと思います。 震災後一週間は原発の緊迫した状態におびえ、節電が始まり、また私達にとっては本当に役に立てるはずであろうコンサートの場が次々と中止になり、有無を言わさぬ閉塞感をみなが感じていたに違いありません。
 そして、この一年 Kibou Music Project などを始めとするチャリティコンサートなどで、自分なりに出来る事はやってきたと思いますが、本当に人間というのは色々な意味で無力だな、もっと出来る事はあったのかな??とも感じます。
 そして、この一年色々な震災対応を見ていると歯がゆい感じがするのは私だけでしょうか。政治家達の中でクローズアップして見えるのはお互いの権力争い。そしてそれに乗じて権力を手にしようという新興勢力。その中で置き去りにされたのは弱者ばかり。千年に一度の災害は千年に一度の政策で乗り切らなければならない、という気概が欲しいと思ってきました。被災地、ひいては日本全体の経済が活性化すること、復興ではなく「災い転じて・・・」となる様なアイディア。例えば被災した地域に遷都する位のアイディアがなくては・・・。遷都することによる被災地へのインフラの整備や関連によって瞬く間に雇用の問題など解決するとも思うのです・・・。そんな妄想を思いながら・・・。
 今日はこれから戸田で震災一年のコンサート。自分に出来る事をきちんとこなしながらこの一年を振り返ってみたいと思います。

2011年12月28日水曜日

たかがオーケストレーション。されど

指揮者は指揮をしてオーケストラの前に立っているときよりも、指揮をしている時間を棒にふらないための勉強の時間がずっとなが〜〜いのです。来年の東京ニューシティ管弦楽団のニューイヤーコンサートで演奏をする「ワラキアからの響き」というヨハン・シュトラウス二世がブカレストで1848-9年に作曲したワルツ。最初「楽譜は手に入るでしょう」というウワサだったのが八方手を尽くしても見つからず、日本ヨハン・シュトラウス協会会長の秋谷寿一氏のご厚意でやっと入手出来たピアノ譜を元にオーケストレーションすることに・・。そういえば今までヨハン・シュトラウスらしいオーケストレーションなんていうことを考えながら譜読みしたことがなかったのに、シュトラウスのワルツ集を片手に首っ引きでオーケストレーション。傾向を分析しながら編曲をすると確かに「らしい」響きがします。意外と勉強になりました。というわけで来年の1/7、北とぴあでおこなわれるニューイヤーコンサート、日本初演となるこの曲を含めステキな曲満載です。御来場お待ちしています。

2011年11月14日月曜日

チャイコフスキー

チャイコフスキーは、きっと一生定期的にお付き合いをする作曲家だとおもいます。今日も「悲愴」の練習。おもえば高校生からのあこがれの曲を日本を代表するオーケストラを指揮して演奏できるなんてこんな幸せなことはない。
スコアを開いて今一度丁寧に読み進めます。でも時々スコアの持っている圧倒的なチカラに負けてしまう。体調の悪いときはあまり対峙したくないスコア。でもつくづく素晴らしい作品と思います。短い時間で要点が伝えられる様に、最初に出会ったときの昂奮を忘れずに、基本に忠実に。リハーサルに向けて。

2011年10月28日金曜日

ベートーヴェン


昨日、今日と久しぶりにベートーヴェンの第七交響曲とお付き合い。思えば高校生の時はじめてオーケストラの中で弾いてからのなが〜〜いお付き合いだけど、読めば読むほど内容の濃さに驚かされる濃密な作品。巨匠のスコアのチカラに負けない様にがんばろっと。

2011年10月10日月曜日

思い出と明日のために


明日は小山実稚恵さんとのコンサートの為に練習があるので、今一度スコアをチェック。
チャイコフスキーの協奏曲もラフマニノフの協奏曲の第二番もグリンカも何回も演奏してきたレパートリーだけど、今一度丁寧にページをめくります。
音楽は聴く人にとっても演奏する人にとっても、聞き返す、読み返すことによってその曲への感情とか、思い出が浮かび上がってくる二次的な体験があります。
私にとってはスコアをめくる作業は、過去に演奏されていた舞台を思い出すことでもあるのです。演奏して居たピアニストのこととか(良く指先を思い出す)、ステージの照明の感じ、お客さんの反応とかめくるページによってはもの凄く鮮明な感覚が蘇ってきます。
さあ、明日の小山さんとの練習が楽しみです!