2012年3月11日日曜日

いちねんまえ

一年前の今日、ルーマニア時間の朝の7時半(日本時間14:30)、私は素晴らしかった前日のルーマニア・ブラショフでのコンサートの余韻を引きずりながらオーケストラの手配した車に乗り込み、いつものようにブカレストに向かった。そして8時半になったころだろうか?(日本時間15:30) いつものように何気なく手元の携帯電話を手に取り、日本の家族に電話をかけようとした。が、何度欠けても出るのは「この回線はただ今非常に混み合っています」というアナウンス。「何かが起きた」。すぐにネットや情報を手に入れることが出来るであろう ブラショフとウィーンの友人に電話をした。この二人の友人から地震があったことを知らされる。ブカレストの空港に着き、チェックインを済ませ、テレビを見ると丁度大津波が押し寄せているライブ映像が流れていた。幸い家族とはなぜかブカレストに居る私経由でネットを使い全て連絡が取れ、ウィーンに向かう。ウィーンのチェックインしたホテルではNHK国際放送の映像を食い入る様に見ていた・・そして翌日、日本向けの飛行機はもしもの場合は仁川、大阪に降りることも示唆しながらウィーンから飛びだった。良く13日発のウィーン発東京行きはキャンセル。13日の朝成田に到着。その日は京成スカイライナーが動いていたことが、ラッキーではあった。空港からそのまま結果的に延期になってしまった練習に向かった・・・・・・
一年前はそれぞれの人がそれぞれのドラマを持って居たのだと思います。 震災後一週間は原発の緊迫した状態におびえ、節電が始まり、また私達にとっては本当に役に立てるはずであろうコンサートの場が次々と中止になり、有無を言わさぬ閉塞感をみなが感じていたに違いありません。
 そして、この一年 Kibou Music Project などを始めとするチャリティコンサートなどで、自分なりに出来る事はやってきたと思いますが、本当に人間というのは色々な意味で無力だな、もっと出来る事はあったのかな??とも感じます。
 そして、この一年色々な震災対応を見ていると歯がゆい感じがするのは私だけでしょうか。政治家達の中でクローズアップして見えるのはお互いの権力争い。そしてそれに乗じて権力を手にしようという新興勢力。その中で置き去りにされたのは弱者ばかり。千年に一度の災害は千年に一度の政策で乗り切らなければならない、という気概が欲しいと思ってきました。被災地、ひいては日本全体の経済が活性化すること、復興ではなく「災い転じて・・・」となる様なアイディア。例えば被災した地域に遷都する位のアイディアがなくては・・・。遷都することによる被災地へのインフラの整備や関連によって瞬く間に雇用の問題など解決するとも思うのです・・・。そんな妄想を思いながら・・・。
 今日はこれから戸田で震災一年のコンサート。自分に出来る事をきちんとこなしながらこの一年を振り返ってみたいと思います。

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